下村脩博士のノーベル賞受賞で脚光を浴びた「オワンクラゲ」
今年のノーベル化学賞で注目を浴びた、緑色蛍光たんぱく質(GFP)を持つオワンクラゲ。オワンクラゲは古くから、暗いところで触ったり紫外線を浴びたりすると、主に傘のふちなどがうっすらと緑色に光ることで知られる。このオワンクラゲの発光に関する研究を長年にわたり続けていたのが、この度ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士だ。
GFPは、さまざまな生物学の分野で、細胞内のシグナル伝達に関わるタンパク質の働きを追跡する蛍光マーカーのような役割を担うツールとして、なくてはならないものとなっている。
日本でのクラゲ研究の最先端を走り続けてきた新江ノ島水族館
「新江ノ島水族館」は、湘南エリアのほぼ中央にあたる片瀬海岸に旧・江の島水族館として1954年に開館。2004年にリニューアルし、現在の「新江ノ島水族館」生まれ変わった。今年11月には来場者700万人を達成した人気施設である。
人気のイルカに会える「イルカプール」ほか、湘南が位置する相模湾に生息する生き物を集めた「相模の海ゾーン」、色とりどりの熱帯魚などが泳ぐ「冷たい海暖かい海ゾーン」など8つに分かれたゾーンの中でも、その展示方法によりひときわ目を引くのが「クラゲファンタジーホール」だ。
クラゲの体内をイメージした「クラゲファンタジーホール」
現在クラゲファンタジーホールには常時17種類ほどを展示。そのほか「バックヤード」と呼ばれる館内の飼育室では20種類を飼育、標本などを含め全部で37種類ほどのクラゲを保有している。旧・江の島水族館時代の1974年には本格的にクラゲの展示を開始し、30年以上にわたり日本でのクラゲの展示飼育や繁殖、研究の最先端を走り続けてきた。当時クラゲを一年中見ることができたのは世界中でも非常に珍しかった。飼育に手間がかかり、一般的にほかの魚類などのように業者が販売しておらず、年中いつでも採集できる生物ではないため入手も困難であり、コンスタントに繁殖させることができなければ成立しないクラゲの通年展示に乗り出す水族館はほとんどなかった。
しかし1974年に本格的にクラゲの展示を始めたころは、黒い壁に水槽を当てはめただけという展示方法。その後展示方法を変え、2階の全フロアを使ってクラゲファンタジーホールを開設した。2004年4月に「新江ノ島水族館」に生まれ変わった際には、さらにデザイン性にこだわり、クラゲの体内をイメージさせる半ドーム式の空間に、1~26トンまでの大小9つの水槽と、小型窓がついた6つの小さな水槽を配置した。ここでは現在、おなじみの「ミズクラゲ」から、世界で一番大きなクラゲとされている「シーネットル」まで、世界中のクラゲを公開している。
「癒し」ブームで女性リピーター獲得
青色で統一された旧・クラゲファンタジーホールは、神秘的で幻想的な雰囲気と話題を集め「癒し」ブームにのって人気に。リクライニングチェアに横たわり、BGMを流し、アロマの香りを漂わせ「クラゲのリラクゼーション」としてリラックスするイベントも開催、大きな話題を集めた。
クラゲを「美しく神秘的な生き物」として見てもらうよう工夫した演出面の効果は大きく、多くの来館者に、それまでの「毒のある刺す生き物」としてのイメージとは異なる生物として認識してもらうことに成功。女性を中心にクラゲのコアファンを増やすなど、結果として多くの女性リピーターの誕生につながった。
また、新江ノ島水族館になってからの新たな企画として根強い人気を誇るのが館内での「ナイトツアー」だ。クラゲファンタジーホールでの宿泊付きのナイトツアーを20歳以上の女性を対象に募集したところ、50人の定員に10倍以上の応募があった。定期的に開催している現在でも常に定員の1.5倍ほどの応募がある。
オリジナルグッズで来館者をクラゲファンに
1988年に旧・クラゲファンタジーホールを開設したころ、同館スタッフは館内で販売する「クラゲグッズ」の収集を開始。海外まで足を運び買い付けて来たポストカードやトートバッグなどを販売。その際は、一瞬で売れ切れるほどの人気だった。
その後2007年にオリジナルDVD「クラゲファンタジーワールド」を販売。夏休みに500枚の限定で販売したが、これもすぐに完売した。現在は、同館に併設されている売店「ビーチ・トレジャー」で常時発売している。なおほかにもDVDを発売しているが、同館スタッフによる完全制作、また1つの生物だけを題材にしたものは唯一この1枚のみだ。
昭和天皇にさかのぼるクラゲ研究の歴史
旧・江の島水族館の開館は、当時の日活の社長であった故・堀久作さんが大磯方面へ国道134号を走る途中に立ち寄った湘南海岸で、その素晴らしい景観に心を奪われ「この地にふさわしい施設の建設を」と思い立ったことがきっかけだという。
東京に戻り早速開始した市場調査により、江の島が日本の海洋生物学発祥の地であることがわかり、日本で初めて臨海実験所を創設。その後、江の島に水族館創設を提唱していた地元の学者との出会いから旧・江の島水族館が誕生した。
現館長の堀由紀子さんが「オリジナルで付加価値の高い生物の展示を」と考えついたのがクラゲの展示だが、きっかけとして「昭和天皇のご専門であるヒドロ虫類が属するクラゲを、ご来館の折にご覧いただきたい」という思いも。御用邸のある葉山が近いこともあり、昭和天皇は9度にわたり来館された。新館オープンの際には、昭和天皇をはじめとする天皇家三代によるご研究についても「今上陛下のご研究」のコーナーとして常設展示した。現在、オワンクラゲの展示も同コーナーで行なっている。
「美しく神秘的な生き物」としてのクラゲ、そして「クラゲ×癒し」に着眼したきっかけとして、館長が女性であるということも無縁ではないだろう。「単なる水族館ではなく、夢空間を作りたい」という願いを実現させた堀さん。「当初も現在も、クラゲの飼育を成功させ、引き継いでいる学芸員は女性。集中力や優しさをともなう忍耐力という女性ならではの感性があったからこそ、クラゲ展示が成功したのでは」と振り返る。当初は、現在ではクラゲの展示で有名になった海外の水族館からの視察の要請などもあり、クラゲの飼育展示をきっかけに国際交流も活発になった。
成功を支える研究員の熱意
クラゲの飼育には温度管理が必要だが、当初は飼育室に冷房施設がなかったため、館長が自宅からエアコン5台を持ってきて取り付けた。室温が20度ほどに保たれ飼育環境が安定したため、それまでのクラゲが思うように成長せず立ち往生していた状況が改善された。脳も心臓も持たない非常にシンプルな生物であるクラゲの飼育は、当初から驚きと苦労が尽きない。そんなクラゲの飼育を担当するのが、展示・飼育グループの学芸員、足立文さんだ。
一般的にオワンクラゲは、20センチほどまで成長するが、これまで同館では10センチほどに成長したものがメーンだったという。幾度かオワンクラゲの育成に成功し、展示を行っていたが「下村博士のノーベル賞受賞に関するニュースが流れた2日前に死んでしまった」と足立さんは残念そうに語る。
同館がオワンクラゲに与えるエサは、小さいエビの仲間や湘南シラス。そのまま与えることも、小さく刻んで与えることもあるという。オワンクラゲは口が大きいことから、比較的大きな物も食べられる。時に、クラゲの世界では珍しくないという共食いも見られるため、それぞれの水槽に入れる数を少なくし常に空腹を満たしておく必要があるのが、飼育の難しい点のひとつだ。
新館のオープン以降、クラゲファンタジーホールの規模も拡大したことから、大きな水槽には、それに見合う量や大きさのクラゲを確保しなくてはならない。そのために、バックヤードでは、日々綿密な計画が組まれている。足立さんは「わたしはのんきな性格なので、これまでは水槽に『1匹でも入っていれば良いかな』と思っていたが、規模が拡大しため数や大きさのハードルが上がった。計画的というのが最も苦手なのだが…」と笑う。
「新江ノ島水族館」の挑戦は続く
課題の多いクラゲの展示により、リピーターの増加に成功した同館。しかしその結果は日々の地道な研究努力が欠かせない。同館では、他の水族館が持つ「イルカ」や「ペンギン」など人気生物のイメージと同様の比重で「クラゲ」の存在がある。
「これからも、来館して見てくださるお客様が現実を忘れられるような別世界をつくっていきたい。人間とは違ったとても不思議な生き物。こんな生き物もいるんだ、クラゲが想像力の入り口になったら」と足立さんは期待を込める。
現在、「クラゲ×癒し」の科学的根拠・医学的検証として、研究機関とともにデータを採集している。堀さんは「ストレスの多い現代社会だからこそ、クラゲ展示が人気なのだろう。今後は、入館者やリピーター増だけではなく、研究面でのデータを基に、これまでと違った新たなものに発展させていけたら」と今後の展望について語る。
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