特集

11年ぶりのJ1昇格を果たした湘南ベルマーレ
前例のない道を切り開く地域密着の挑戦に迫る

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ベルマーレOB対ヒデチーム、絆を深めたドリームマッチ    

 2月20日、晴れ、弱風。早朝から続々と人々が吸い込まれていく平塚競技場。スタジアムの各ゲートにできた長蛇の列。この日開催されたのは、ベルマーレOBと中田英寿さん率いる元Jリーガーチームが対戦するJ1昇格記念試合「We're back」。同クラブの呼びかけに、中田さんが快諾して実現した。中田さんのベルマーレ在籍期間は3年半と決して長くはないが、「ベルマーレにいなければ今のキャリアはなかった」と話すように、2000年から2001年の2年間、自身のホームページ「nakata.net」をユニフォームスポンサーとして掲出。さらに、2006年にはジュニアユースチームのユニフォームデザインを手掛けるなど、古巣ベルマーレに惜しまぬ支援を行っている。

 この日スタジアムを埋め尽くしたのは1万3,807人。「ベルマーレ平塚時代からの大ファンでアウェーにもよく行く。年間シートを購入し、ベルマーレに合わせて自分の行動を決める」という熱烈な夫妻から、「ニュースで試合を知って初めてサッカーを見に平塚競技場に来た」と話す親子連れまで、幅広いサポーターが往年の名選手によるアグレッシブで華麗なプレーに酔いしれた。そしてまた、過去を振り返って懐かしさを感じるだけでなく、J1開幕に向け、新旧の選手とサポーターの絆がより深まった1日となった。

親会社撤退、J2降格、存続の危機を乗り越えて        

 湘南ベルマーレの歴史は今から42年前、1968年にさかのぼる。建設会社フジタを母体とする藤和不動産サッカー部として創部。1975年の「フジタ工業サッカー部」へのチーム名改称とともに練習グラウンドを平塚市大神に移転。平塚をベースにしたベルマーレの歴史はここから始まったといってよい。1994年には「ベルマーレ平塚」としてJリーグに参入。J初年度のニコスシリーズでは優勝争いを演じ、天皇杯を制覇。これにより出場権を得た翌年のアジアカップウィナーズカップでも優勝を果たし、「湘南の暴れん坊」「ベルマーレ旋風」という言葉を生んだ。さらに中田英寿や呂比須ワグナー、洪明甫(ホン・ミョンボ)ら人気と実力を兼ね備えた選手の活躍もあり、常にJリーグ上位に位置するチームへと成長した。

 1999年、そんなベルマーレに思わぬ試練が訪れる。親会社としてベルマーレを支援してきたフジタが、長引く不況の影響を受けメーンスポンサーから撤退したのだ。それにより黄金期の主力選手らがチームを離脱し、年間成績がふるわずJ2に降格。前年にフジタの女子サッカーチームが廃部になったこともあり、ベルマーレ平塚も同様の措置がとられるのではと危ぶまれた。

 同年12月、サポーターの熱意に支えられ、チーム運営を湘南ベルマーレ平塚から営業権を引き継ぐ形で新法人湘南ベルマーレを設立。親会社を持たない市民クラブ「湘南ベルマーレ」が誕生する。ほぼ時を同じくしてJリーグの「広域ホームタウン制度」が始まり、平塚1市から厚木・伊勢原・小田原・茅ヶ崎・秦野・藤沢・大磯・二宮・寒川を加えた、7市3町へとホームタウンを拡大。新たな船出を開始した。

 J2降格から試行錯誤の10年を経て、ベルマーレOBであり北京五輪でサッカー日本男子代表監督を務めた反町康治が監督に就任した2009年。湘南ベルマーレは、シーズンを通じて昇格レースに絡む戦いを見せる。そして12月5日、水戸ホーリックを3-2で下し、勝ち点98で3位が確定。Jリーグ史上最長記録となる、11年ぶ りのJ1復帰を決めた。

 「J1から降格して復帰したチームはいくつかあるが、降格しても親会社から強化費が補てんされ、クラブ経営云々ではなく昇格を目指ざすことができた。その点で我々とは大きく異なる」。フジタ撤退直後からベルマーレの運営に携わり、2004年から湘南ベルマーレ代表取締役を務める眞壁潔さんはそう話す。「親会社を持たず、予算規模も小さいベルマーレは『市民クラブ』とよく言われるが、それは経営の在り方を指していうのではない。企業チームであろうとどんな形であろうと、その地域になくてはならないクラブになる。それこそが真の市民クラブ」と、「公共財としてのスポーツの価値」を守る必要性を語っている。

ヨーロッパ型総合スポーツクラブを目指して

 プロサッカーの興行・運営をメーンとする「株式会社湘南ベルマーレ」に対し、2002年にプロ球団として初めて設立したのが「NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブ」だ。その指針となったのは、Jリーグが掲げる「百年構想」。これは、地域のサッカークラブを核とし、誰もがそれぞれの興味・レベルに応じて、さまざまなスポーツを楽しめる環境を整備することを目指すもので、ヨーロッパ、中でもドイツのスポーツ環境がモデルになっている。それぞれの街に人口に見合う規模のスポーツクラブを作り、子どもから高齢者まで生涯を通じてスポーツを楽しめる環境を整備。世代を超えた交流が地域に活気をもたらしただけでなく、スポーツ人口が飛躍的に増えたことで医療費の大幅削減にもつながったという。また、選手や指導者の育成、クラブ運営に携わる人々の研修施設などを設けることで、地域の中から優秀な選手を輩出。それが人々の誇りとなり、夢や希望を与えている。

 この構想に基づく「ホームタウンの市民・行政・企業が三位一体となったクラブ作り」を目指すベルマーレが、プロサッカー法人とNPO法人とに組織を二分したことには理由がある。ドイツサッカーに100年の歴史があるように、地域に根差したスポーツクラブという概念がなかった日本においては、その環境作りはまだ始まったばかり。プロサッカーの興行収入だけで地域スポーツ活動を補えるようになるには、まだまだ時間がかかるといわざるを得ない。

 サッカークラブの経営やチーム成績の好不調で、地域スポーツの活動が左右されることを避けるために発足させたのが同NPOだ。ベルマーレが2004年から提携するCAオサスナ(スペインのプロサッカーリーグ所属)も同様の形態をとっており、非営利組織として独立したことでホームタウンでの活動がしやすくなり、より積極的な活動が可能になる。眞壁さんによれば「アルビレックス新潟など、競技ごとに法人をもつチームもあるが、NPO法人によるヨーロッパ型総合スポーツクラブの運営を行っているのは、Jリーグ全37チーム中ベルマーレだけ」という。

スポーツをビジネスとして成功させるために                    

 2つの組織の役割分担は上図の通り。トップ(プロ)とU-18の選手のレベルアップやチーム力強化、プロサッカーの興行・運営ノウハウの拡充を図るのが「株式会社湘南ベルマーレ」。サッカーの下部組織、フットサル、トライアスロン、ビーチバレー、ソフトボールなどサッカー以外のスポーツチームの選手育成・強化、試合やイベント運営から、サッカースクール、小学校の体育巡回授業など各種スポーツイベント、講習会、障害者スポーツまで、ホームタウンの幅広いスポーツの普及・振興に努めているのが「NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブ」だ。男子ビーチバレーチームには北京五輪出場を果たした白鳥勝浩選手が所属、ソフトボールチームではアトランタ、シドニー2度の五輪に出場した安藤美佐子さんが監督を務めるなど、日本を代表する各競技界のスペシャリストが選手、スタッフとして尽力している。

 眞壁さんはいう。「スペイン1部リーグのバルセロナ、ドイツのブンデスリーガのTSV1860ミュンヘンなどヨーロッパのクラブ形態をモデルに、ファンデーション(公益法人)と、コーポレート(株式会社)の構造で利益を生む形を選択した。地域のサッカー場の整備などは行政がファンデーションに資金を投入し、それをトップチームが使用するなど、線引きが上手にできているのが特徴で、それが我々の目指す形」。また「日本のスポーツ界で最も困るのは『資金』と『場所』の不足」とも。NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブでは現在、スクールやクリニックなどの教室を開催するとともに、公の施設の運営管理を代行する管理指定者制度を複数の施設で行ないながら物事を積み上げ、場の確保に努めているという。「時間はかかっても最終的にはビジネスモデルとして成り立つという想いで取り組んでいる」と、眞壁さんは前向きな展望を示す。「NPO法人としての取り組みは我々だけの挑戦であり、実験室でもある。先頭を切ってやっている。つぶすわけにはいかない」との、強い信念がそこにある。

夢や希望に費用対効果はない                

 ベルマーレが力を注ぐホームタウン活動は、サッカー以外のイベントでも年間230、サッカーを含めると500に達し、毎日何らかの活動が行われていることになる。中高年向けの健康づくり教室やシニア、レディースなどのサッカー教室を除けば、すべて子どもたちが対象だ。中でも、2001年からスタートした小学校体育巡回授業は湘南ベルマーレスポーツクラブの重要な活動の一つ。眞壁さんによれば「当時はJリーグのコーチが指導に赴くのはサッカー部などに限られて」おり、学校体育を通じて子どもたちに体を動かすことの楽しさを教えるのは先駆けとなる取り組みであった。スポーツ指導のプロが授業を手伝うことで、児童や教師、保護者らにも喜ばれているという。活動開始から9年となる今年2月9日には、指導を受けた児童数が10万人を超えた。また2003年からは、被災地や戦争被害を受けた世界の子どもたちに使わなくなったボールを送る「希望のボール」プロジェクトを開始。海を越えて子どもたちに夢と勇気を取り戻させる活動を展開している。

 眞壁さんは「湘南ベルマーレを通じて、今の子どもたちに『ふるさと湘南』というものをしっかりもってもらう。それが我々の価値」と話す。また、「ホームタウン活動を通じて、スポンサー資金が、スタジアム看板以外にも波及していることを示すことも大切」と語る。ホームで試合をするのは年間20試合しかないが、同NPOで行うボランティア活動やイベントの際、スポンサー企業の旗をともに掲げて行うことでCSR(企業の社会的責任)につながり、それが企業への恩返しになる。平塚から湘南への広域化ということも含め、「1年365日から20日を引いた345日、企業に価値を提供できるような取り組みを、さらに推進していくことが今のテーマ」。そのために、保護者や学校、企業と最前線で接するコーチや引退選手の資質、人間性、価値観などはしっかり見極める。「どんなに指導能力があっても、子どもたちや保護者と接することが楽しいと思えなければ、そこに会話の価値を見いだせなければ、コーチとしてやっていくことはできない」(眞壁さん)。

 ホームタウンの取り組みの中で、市民・企業とともに欠かすことのできない行政。眞壁さんは「行政には我々のブランドをうまく活用し、地域活性化に役立ててもらうとともに、多くの人に足を運んでもらえるような安全・快適なスタジアム整備に少しでも力を貸していただきたい」と話す。実際ホームタウンの平塚競技場は、車椅子などの身障者エリアが狭く、緊急時の避難経路の確保に問題がある点や、選手名の表示が可能な大型電光掲示板ないなど、老朽化や設備不十分な面が目立つ。昨年5月には眞壁さんに対し、Jリーグの鬼武健チェアマンから異例ともいえる設備改善要望書も届けられた。ベルマーレでは数年前から改修整備を市議会に要望してきたが、開催規約はクリアしているとの理由で見送られてきた経緯がある。しかしJ1昇格が関係してか、今年秋をめどにリースという形で、800インチ(幅17.6メートル、高さ10メートル)の大型ビジョンの設置が最近確定した。

 眞壁さんはいう。「市民クラブといわれるベルマーレでも、スポンサーなど企業の支えなしに存続することは不可能だった。大事なのはクラブとして生き残ること。スポーツに情熱を傾ける人々や企業、行政、地域社会が垣根を越えて互いの役割分担を果たし、スポーツの価値を守ること」。社会やメディアも、そういった側面を評価し応援する役割があるといえるかもしれない。

編集後記

 2月20日のJ1昇格記念試合で、チームカラーを身にまとったベルマーレサポーターの圧倒的で力強い息吹にあふれ返った平塚競技場。スタジアムなど施設整備という点においては、時の行政次第ともいうべきもどかしさがあり、地域におけるスポーツの価値やクラブ経営の在り方など、今一度広く議論されるべき点もあるだろう。しかし、サッカー界自体の地盤沈下がいわれている中で、あるべき姿を描き、前例のない取り組みに挑戦し続ける湘南ベルマーレの存在意義は大きい。

 3月6日、いよいよJリーグが開幕する。「J1に昇格したことは万々歳ではない。内側の緊張感はさらに高まっている」と眞壁さんは法人代表としての本音も吐露した。「できれば早く、後継者にバトンを渡したい」とも。何もそれは、今の立場がいやになったからではない。「手法よりも経験が大事」なこの仕事を担う、次の世代に出てきてほしいことに他ならない。平塚を、湘南を、何よりもベルマーレを愛するがために。

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